カナディアンロッキー日帰りハイキング <5/10、2007>

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Mt.ヤムナスカ(2240m)

日帰りハイキングツアーへご参加いただきました!

この時期のハイキングコンディションに適したコース「ヤムナスカショルダー」へ。
今回のメンバーは参加された1名様とガイド(岩田薫)でしたが、新人のガイド(栗原治朗、八牧励)も同行させていただきました。

バンフの宿泊先で待合わせして、専用車で登山口へ移動。さいさき良く、途中にビックホーンシープの群れと遭遇してゆっくり観察しました。登山口に近づくに連れて、一際目立つ山「Mt.ヤムナスカ(2240m)」が眼前に飛び込んできました。この山はカルガリーからカナディアンロッキーに入ってくると一番最初に目にする独立峰の山として知られています。

d0112928_9272482.jpg今日は途中残雪も予想されるので、まずはショルダーを目的地として、コンディションをみながら目的地を先へ延ばす計画にしました。出発してすぐに、この時期の代表花「クロッカス」が咲いていて、思わず美しいお花に見とれてしまいました。



d0112928_9323035.jpg足取りはとても良く、順調に第一展望スポットに到着。ここは、ロッキーの入り口に位置する所なので、雄大な山々と平原地帯が同時に見渡せます。今日は天気も良く、心地よい風を受けながら休憩しました。
さらに進み、茂みの方から低音で鳴くものに気付きました。この音の正体を知らない人は、大型動物のいびきと勘違いさせられます。しかし、この正体は"Blue Grouse(ブルーグラウス)"でライチョウのように丸い形をしており、お腹を膨らまして警戒音を出していたのです。遠くで静かに観察していると、尾を大きく開いてゆっくりと逃げて行きました。

目的地のヤムナスカショルダーへは昼前に到着。ここはヤムナスカの裏側を見られ、北斜面ということもあって間近に雪が付いた山々を望むことができました。

d0112928_9402180.jpg時間も体力も十分にあると判断してさらに先を目指す事にしました。途中、残雪もありストックで上手くバランスを取りながら順調に高度を上げていきました。13:00頃に最終目的地に到着。2040m付近のヤムナスカの稜線上からは、パノラマの大絶景を望みながらランチをゆっくりとりました。

ランチを食べているとリスも現れて可愛いポーズを見せてくれました。
ここは地図の表紙にもなっている所で同じようなアングルで写真を撮りました。素晴らしい景色を見ながら癒されていた様子が大変印象的でした。

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下山は、トレール上に鹿が現れてしばらく停滞するハプニングもあり、今日は多くの野生動物も見られた1日でした。アスペンの木々も行きよりも新芽が大きくなって緑が色鮮やかに感じられました。



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この度は当社のツアーに参加いただき誠に有難うございました。次回はさらにステップアップしてロッジやキャンプ滞在ツアーに参加されてみてはいかがでしょうか?またお会いできる日を楽しみにしております。


【関連リンク】
「ヤムナスカガイドがご案内する日帰りハイキング」

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# by ymtours | 2007-05-11 06:06 | ふたりの山旅 | Comments(0)

第2回ガイドインタビュー(Taichi Ishizuka)

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ガイドインタビュー第2回を行いました。今回は石塚体一(いしづか たいち)です。
カナディアンロッキーの魅力やガイディングなどについて語ってもらいましょう。
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登場人物
石塚体一・・・体一  岩田薫・・・薫 以下より省略

薫:
ではインタビュー始めようか。よろしくお願いします!
それでは、まず自己紹介からどうぞ。

体一:
はい。よろしくお願いします。
2004年の夏からヤムナスカでガイドとして働いています。今年で3年目です。
カナダに来る前は日本で8年ほどゲームディレクターとして働いていました。

薫:
日本はどこの出身?

体一:
生まれは千葉県銚子市です。ご存知の方も多いと思いますが、銚子市は太平洋に面した海の町でして、山らしい山なんてまったくないんですよね。

薫:
そうだよね。それがどうして、今のハイキングガイドまでに至ったかとても興味があるなあ。山との出会いはいつ?

d0112928_14554634.jpg体一:
22歳の時に3ヶ月かけてアメリカを横断する一人旅をしたのですが、その時に立ち寄ったヨセミテやザイオン、グランドキャニオンなどの国立公園での経験が大きいと思います。英語でWILDERNESSと呼ばれる手つかずの大自然に触れたのはあれが初めての経験でした。

薫:
なるほど、それまではほとんど山に触れる機会がなかったということなんだね。それは、かなりのインパクトだったんだろうね。

体一:
そうですね。なにせ初めて山菜の天ぷらを食べた記憶は成人してからですから...

薫:
ははははっ(笑)それも衝撃的な出来事だったろうね・・・(笑)

体一:
そうですね(笑)海育ちだったからこそ、あまり知ることのなかった山の魅力に取り付かれたのかもしれません。

薫:
つまり、普段の生活に無いものへの憧れということかな?
それにしても、どうして今の仕事をするまでに至ったの?

d0112928_157642.jpg体一:
とにかくアメリカの国立公園は衝撃的で、それから本格的に山歩きを始めました。僕の周囲には山をやる人間はまったくいなかったので、一人山行が多かったんですけどね・・・
僕は19歳からゲーム業界で企画者として働いていました。そもそもなんでゲーム業界を選んだかと言うと、自分なりに人に伝えたい「メッセージ」があり、それを実現したかったからなんですね。しかし、現実的にゲーム業界でそれを実現することは難しく、自分の将来について悩んでいた時期に作家でアウトドアライターの「加藤則芳」さんに出会いました。彼との出会いとアメリカ、カリフォルニアのジョンミューアトレイルを歩いた経験が今の世界に入った一番大きなきっかけです。この経験を通して自分の「メッセージ」を人に伝えるあり方を改めることになりました。

薫:
なるほど。自然を通して自分の「メッセージ」を伝えようと方向転換したんだ。体一君にとってアメリカでのバックパッキングがさらに大きな影響を与えたようだね。

体一:
そうですね。すごい良い経験になりましたね。

薫:
この「メッセージ」は、状況によっていろいろあると思うけど、特にハイキングガイドの仕事をしている時はどのようなメッセージを伝えているの?

d0112928_1501422.jpg体一:
自然の楽しみ方というのも人それぞれだとは思いますが、僕が伝えたいメッセージは『自然との自然なふれあい』です。自然のままの姿で残る森や花、野生動物たちの世界に足を踏み入れ、人間も自然の一部であると感じてもらえることができたら一番嬉しいですね。
僕は自然というのは人間の社会に必要なものだと思っています。その自然の魅力を多くの人に知ってもらい、それらを次の世代に良いあり方で残していけるように努力したいと思っています。

薫:
本来、人間の祖先も自然の中で今の野生動物のように生活していたからね。あまり自然と接する事のない現代の人間の根底にも、潜在的に自然を享受できると思うな・・・同感だよ。

薫:
ところで、アメリカで自然のスケールを知って、なぜ最終的にカナディアンロッキーでやっていこうと思ったの?

体一:
やはり北米の自然はワイルドですからね。アメリカとカナダの自然はとても似ている部分が多いとは思いますが、カナダのほうがよりワイルドな印象があったんですよね。グリズリーなどの危険な生き物が多いというのも魅かれた理由ですかね(笑)。

薫:
そうだよね(笑)。確かにここは、町から一歩出ると野生動物の領域だしね。

体一:
そうですね。人間も野生動物もお互いに上手く共存している所だと思います。

薫:
話は変わって、体一君にとってのハイキングガイドの魅力は?

d0112928_15175636.jpg体一:
そうですね。毎日のように山を歩くことで、自然の小さな変化を感じられることでしょいか。ああ、植物はこのように変化していくんだな、とか新しい発見が毎日あるんですよね。それにお客様もいろいろな山の経験があって、そういった人たちの接するのも楽しいですね。お客様に教えられることも多いですよ。

薫:
私もお客様から学ぶ事もあるよ。普段見慣れてしまっている為に、気付かなかったり、面白い見方をして新たな発見につながる事も多いなあ。

薫:
ところで、山以外に体一君は趣味がいろいろあるって事だけど・・・

体一:
趣味ですか...そうですね。アウトドアスポーツだったらフライフィッシングが好きですね。スキーも去年始めました。今シーズンは、スキー場だけでも50回以上は行きましたよ。あとは..改めて聞かれると僕の趣味はなんなんでしょうね...

薫:
芸術的なセンスも周りからの評価は高いよね。デザインの仕事はゲーム業界に居る頃からやっていたの?今回、バンフのタウンマップの作成に一役かったそうだね。

d0112928_15131111.jpg体一:
ゲーム業界の時はデザインの仕事はやっていませんでした。その分野はちゃんとしたデザイナーの方がいましたからね。ただ、各デザイナーに自分のイメージを伝えたりする上でデザインソフトを使っていろいろなイメージを作ったりはしていました。今回バンフの日本語マップをデザインしましたが、この仕事もゲーム業界時代に使っていたイラストレーターというソフトで行いました。

薫:
仕事としての経験は無いのにとても素晴らしい出来だよね!今、注目のタウンマップといってもいいんじゃない?どこで手に入りますか?

体一:
ありがとうございます。地図はバンフのホテルやお土産屋さんに置いてあります。カルガリー空港のインフォメーションセンターにもあるはずですよ。無料ですのでお気軽にどうぞ。

薫:
今後チャレンジしてみたい事はあるかな?

体一:
ハイキングガイドになった目的の一つは、バックパッキングやハイキングを通して大自然の中を歩くことの魅力を伝える本を作ることなのですが、その第一弾としてカナディアンロッキーのハイキングガイドブックを計画しています。

薫:
それは楽しみだね!第一回のインタビューにもあったけど、裕司君と今企画中なんだよね?

体一:
そうですね。発売は未定ですが、現在急ピッチで進めていますのでご期待ください。

薫:
あと、来月にはカナダ山岳協会のバックパッキングガイドの試験も控えているそうですね。ぜひ頑張ってください!

体一:
ありがとうございます。まだ早いかなとは思ったのですが、挑戦してみようと思いまして。がんばります。

薫:
最後にカナディアンロッキーに山旅を計画中の皆さんへメッセージをお願いします。

体一:
たくさんの野生動物、高山植物、氷河、3000mクラスの山々が連なる絶景など、カナディアンロッキーのワイルドな自然を是非体験してみてください。他の国では味わえない素晴らしい山旅が待っていますよ。

薫:
今日はどうもありがとう!今後のさらなる活躍を期待します!

体一:
ありがとうございました。

【関連リンク】
「ヤムナスカ写真部」に体一君の写真掲載中(写真の腕もかなりのもの・・・)

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# by ymtours | 2007-05-10 15:20 | その他 | Comments(2)

「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」 最終話

ハイキング旅行から帰った後,ふたたびACC(カナダ山岳会)へと赴き,初期のCAJ(カナディアンアルパインジャーナル)を借りて片端からめくっていった。

d0112928_3444239.jpg この山域が記録の上で最初に現れるのはCAJ3号(1911年)である。これは著名な生理学者であり極地探検家であったDr.T.G.ロングスタッフが,ACCの創設者であるA.O.ウィーラーらと共にパセール山脈の踏査を行った記録である。バガブーリバーからバガブーパスを越えてハウザークリークを下り,現在のクートネイレイクに抜けている。今日,困難なアルパインルートを数多く有することで世界的に有名になったバガブーはこのとき初めて発見されたといってもいい。ただし高峰および氷河登山に関心が高かったその当時にあっては,それ以後バガブーよりも標高が高いパセール山脈南部の山々に目が向けられることになった。
1914年
パセール山脈の最高峰であるマウント・ファーナムがA.H.マッカーシーらによって初登頂される。
1915年-1916年
W.E.ストーンらによってホースシーフクリークおよびトビークリーク流域の踏査および主要な山の登頂が行われた。

 この1916年のW.E.ストーン氏の記録の最後に添付された地図を見たとき,全ての疑問が氷解した。その地図にはマウント・ブルースという名前がはっきりと記されていた。それは現在,アイブロウ・ピークと呼ばれている山であった。
 「昨今,山の名前が変わることは悲しい哉そう珍しいことではない」,と前述のロングスタッフ氏がその記録の中で述べている。さらにアイブロウ・ピークの名前を付けたのが彼とA.O.ウィーラーなのである。彼らはその名前を暫定的なもの,と断り書きをしており,マウント・ブルースという名前に変えられたとしてもちっとも不思議はない。ただ,その後何らかの理由で旧名のアイブロウ・ピークに戻されたのであろう。

d0112928_453615.jpg ところで,これらの記録を読み進めていくうちに,意外な人物の名前を発見した。それは1913年にカナディアン・ロッキーの最高峰「マウント・ロブソン」(写真右)を初登頂し,一躍カナダで最も有名なガイドになったオーストリア人ガイドの『コンラッド・ケイン(1883 - 1934)』である。彼が北米山岳史に名を残した大きな理由は,この当時,スイス人ガイドの多くがカナダ大陸横断鉄道の経営するホテルに泊まり,その宿泊客を連れて何度も同じコースばかり登る“ミルク・ラン(牛乳配達)”を好んだのに対し,ケインは困難でも未だ誰も足を踏み入れたことのない山域に行くことを好んだからである。それはロブソン登頂以降,彼の常雇い主となったA.H.マッカーシーの優れた能力に負うところも大きく,彼らのコンビが数々の名ルートを作り出したといっても過言ではない。

d0112928_3493559.jpg  驚いたことに,1909年にカナダにやってきたばかりのコンラッド・ケインは,上記のパセールに関わる記録全てにガイドとして付き添っているのである。彼の他の有名な業績にバガブースパイアーおよびマウント・ルイスの初登頂があるが,それが行われたのが1916年,まさに彼の黄金期を貫くようにしてこの一連のパセール山脈の遠征が行われている。彼はパセール山脈が好きだったらしく,1917年にふもとのコロンビアバレーに農場を買い,その後何度もパセールに通っている。そして今もなお,山麓の町クランブルックに眠り続けているのである。
 また,コンラッド・ケインは1928年のACCキャンプに参加した,と彼の追悼文に記されている。北田氏はおそらくコンラッド・ケインの姿を見たことであろう。アイブロウ・ピークは1915年に彼によって初登頂されているので,登頂前に彼から情報を得ていたかもしれない。

 単身日本からやってきて,並み居る外国人に混じり,日本にはない氷河を持つ山に登ることは当時としては並大抵のことではなかったであろう。初登頂ではなかったが見事,約3,300mの山の登頂を果たした北田正三氏に敬意を称したい。氏は昭和33年7月22日,熊本県山岳連盟会長を務められていた時,阿蘇高岳鷲ヶ峰で滑落死されたそうである。氏のご冥福をお祈りいたします。

2003年9月18日
品川誠

【関連リンク】
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 1
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 2
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 3
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 4

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# by ymtours | 2007-05-10 04:09 | その他 | Comments(3)

「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 4

出発してから3時間ほどで目的地に着いてしまった。持ってきたガイドブックには,ここから左岸尾根沿いに登ると2時間ほどでグレーシャードームという山の頂上に立てる,と書かれていたので,少し早い昼食を取った後,軽い気持ちで登り始める。ところがこの先には道が付いていなかった。遠めに見た分にはどこでも登れそうに見えたカラマツの茂る斜面は,実際には急崖が多く,登る場所を見つけるのに苦労した。

 ようやく尾根上に出ると,そこはもう瓦礫のような岩に埋め尽くされた無機の世界だった。足元の岩には氷河削痕がはっきり残されている。いま歩いている場所もおそらくつい最近まで氷河の下にあったのであろう。氷河の上を渡ってくる冷たい風にさらされながら上を目指す。
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 2時間ほど歩くと,ケルンの立った小さな丘の上にたどり着いた。青い氷をむき出しにした氷河は,もう手を伸ばせば届く距離にあった。氷河の末端から崩れた白い氷の塊をいくつも浮かべる湖を上から眺めながら75年前の昔に思いを馳せた。1928年当時,この景色は一体どんな風だったろう,おそらく現在より2,3回り大きな氷河が湖に向かってせり出し,今よりもさらに迫力ある景観を作っていたに違いない。

 見えることを期待していたスターバード氷河とその上の“眉毛山(アイブロウ・ピーク)”は,今いる場所よりさらに高い岩尾根に阻まれて見ることが出来なかった。残念だがまたの機会とすることにする。
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※1920年頃の写真 / 右のピークがアイブロウ・ピーク(3368m)

 下山しながら私は,この山域の過去の記録を調べてみよう,と考えていた。バガブーといい,この“懸垂氷河の湖”といい,パセール山脈は自分が想像した以上に氷河に厚く覆われ,景観がすばらしく,魅力的に映った。なにより人臭くなく,原始性を色濃く残していることに心惹かれた。

つづく、次回最終話

【関連リンク】
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 1
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 2
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 3

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# by ymtours | 2007-05-09 03:19 | その他 | Comments(0)

「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 3

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 2日間のバガブー周辺ハイキングを終えた後,必死に口説いた甲斐あって,いよいよ"Lake of the Hanging Glaciers"「懸垂氷河の湖」を目指すことになった。ラジウムホットスプリングスの町から延々と50kmも続くダート(未舗装路)をひた走る。朝の8時に登山口に着くと,まだ時間が早いせいか他には一台の車も見られなかった。

写真「バガブー州立公園と筆者」


  トレールは最初,白濁した氷河の溶け水を流すホースシーフ川の河川敷についているが,滝を巻くために途中で大きく森の中を迂回する。二箇所ほどある渡渉は,しっかりした橋が架かっていてまったく問題ない。二番目の橋を渡って河川沿いの道に戻ると,広い河原越しに氷河で覆われた白い頂,マウント・モニカを望むことが出来た。

 やがて道は平坦な川沿いを離れ,スイッチバック(つづら登り)でひたすら標高をかせぐ道へと変わる。湖から流れ出る渓流に沿って道が付いており,しかも樹林の中なので,夏の盛りでも暑さをあまり感じない。

 途中オーストリアから来たという二人組の女の子達が猛烈な勢いで我々を追い抜いていった。平日であるにも関わらず,こんな辺鄙な場所に自分たち以外にも人が(しかも外国から)来ているなんて驚きだった。その後にも3パーティー10人ほどの人に途中で出会った。自分たちが知らなかっただけで,意外と人気のあるトレールらしい。どおりで道がよく整備されているわけである。

 一時間ほど登ると,ようやく傾斜が緩くなった。辺りの木々はすでに低く,森林限界に近づいたことを知る。間もなく視界が開け,夏の高山植物が咲き誇る広いメドウ(樹木限界線近くの草原)に出た。どこからか笛の音のようなマーモットの泣き声が聞こえてくる。正面には幅が広く傾斜の緩い滝が見えており,そのすぐ上が目指す"Lake of the Hanging Glaciers"「懸垂氷河の湖」だった。それはその名に恥じない美しい湖であった。
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【"Lake of the Hanging Glaciers" photo by Makoto Shinagawa】

 氷河の融け水を集めた湖は,淡い緑色の水をたたえ,静かに我々の目の前に広がっていた。はるか彼方に見える湖の対岸は絶壁となってそそり立ち,その上に広がる巨大な氷原から押し出された分厚い舌端状氷河が湖に向かって垂れ下がっている。そして時折,静寂を破ってゴゴゴゴーッという氷河の崩れる音が対岸から響き,辺りにこだました。

つづく・・・

【関連リンク】
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 1
「未踏峰を登頂した日本人の軌跡を訪ねて」Part 2

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# by ymtours | 2007-05-08 07:28 | その他 | Comments(0)